みんなで幸せになりたい
そうした決意の背景を平沼は次のように語った。
「結局、安全管理は安全だけの話ではないのです。自らの仕事にどんな心構えで取り組んでいるのか。仕事は自分にとってどういうものなのか。仕事を通じて、何を実現し、自分はどのような毎日を送りたいのか。そして、どういう生活をしたいのか。自分の頭で考えて、そういう一連の問いに何らかの回答やイメージを持てる人なら、当然、最低限の責任は果たせるでしょう。しかし、それもできない社員がいるという現実は、自分の仕事や会社に自分なりの考えを持つことなく、ただ漫然と仕事をこなしているに過ぎない社員が少なからずいるということです。こういう現実は会社のトップとして真摯に受けとめ、何らかの対策を講じる必要があります」
その対策が、先の発言にあった社員教育なのである。
単純に「安全教育」に絞り込むのではなく、仕事や会社に対する意識、考え方まで広げて、社員の意識改革を目指す「社員教育」を平沼が提唱するのには理由がある。
「仕事や会社は、自分たちが望んだ形にしかなりません。だから、私は自らの仕事や自らが働く会
社に対して、社員各自が望ましい形を思い描けるようになってほしいと思っています。望ましい形を自分の頭で思い描き、その実現に向けて一人ひとりが主体的にまわりと協力しながら努力する。そうした毎日の積み重ねによって、自分の仕事内容や会社の事業は良くなっていきます。私は当社を、当社の事業をもっと良くしていきたい。だからこそ、それを共に実践してくれる社員を育てたいのです」
気持ちのこもった言葉だ。彼の言う通り、人は自らの考えや思いに従って行動し、現実を生み出していく。行動のもとにある思考や意識の改革は、現実の改善には欠かせないだろう。教育は人の思いから始まる。そして、思いの強さが人を強くし、学び続ける気持ちを育てる。
平沼は姿勢を変え、少し表情を緩ませて、さらに続けた。
「世間では、解体業や産廃処理に従事する人を格下に見る風潮が今もあります。解体工と聞けば、規律が守れなくても当たり前と考えるような偏った見方です。しかし、そんな偏見に自分たちが呪縛されたら終りだと私は思います。当社の社員は自分の責任を自覚し、きちんと仕事をやり遂げる力を持っています。だから、その力を
発揮してほしい。自分で考えて仕事を動かし、やりがいを実感してほしいです。仕事を通じて幸せになるためには、そういう仕事への取り組み方が必要だし、それによって世間の偏見を覆すこともできます。私の役割は、社員のヤル気のスイッチを入れることかもしれません」
ヤル気のスイッチ。確かに人間はきっかけさえあれば、大きく変貌し、能力を発揮することがある。
「私は社員を幸せにしたいし、私も幸せになりたい。みんなで幸せになるために、良い仕事をしたいと思っています」
仕事である限り、時には歯を食いしばってやらなければいけないこともある。けれど、何とかやり終えたときには達成感や充実感が得られるし、感謝されることもある。他の誰でもない自分が仕事を通じて幸せを感じるには、仕事に自分なりの目標やビジョンを持って取り組み、時には困難を乗り越えて実際に成果を上げ、人に認められたり、感謝されたりして、自信と豊かさを身につけることが必要だ。
平沼が志す「社員教育」とは、社員一人ひとりのそうした行動の素地をつくるということである。