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どん底からの復活
 万博関連の事業を終えて、平沼は27歳のときに同社の営業となった。今度は会社に骨を埋める覚悟があった。しかし、本社に戻って一営業になってみると、適切なコミュニケーションをとることの難しさにぶつかり、メンタルクリニックに行くほど窮地に追い込まれた。
「とにかくしんどかったですね。人を観察し分析しては、心の中でその人を評価したり、批判したりする自分がいるのです。けれど、それを適切な言葉で表現することもできず、どんどんストレスや不満を抱えてしまう。今、思えば、自分の殻を破る勇気がなかったのでしょう」
 語り口は穏やかだが、当時は本当につらかったに違いない。
 とはいえ、辞めるわけにはいかないので、30歳まではガムシャラに、無理矢理働いたという。その間、気になることを指摘しすぎて、自分についてきてくれた人をつぶしてしまったこともあったそうだ。
「部下に対して、自分自身に言いたいことを投影
して毒を吐いていたのかもしれません」
 自分を見つめる冷静な視点を感じさせる分析である。
 そんな平沼にとって、忘れられない出来事は2011年のお盆休みに一週間かけて行った断食だ。山で行った断食は、まさに自分との対話の7日間で、体重も、自分の中の毒も落ちた。終った ときには、ごく当たり前の陽射しや風の素晴らしさを感じたそうだ。
 30歳を過ぎて、仕事だけでなく「自分のやりたかったことをやろう」という気になり、オールディーズ中心のロックバンドを始めた。「30にもなって今さら」と言う人もいたが、平沼はたとえ40歳、50歳になってもやりたいことはやってみないと、自分の原点には立ち返れないと思った。さらに、近所にできたボクシングジムにも通い始め、近郊都市の公園の有名なお祭りの期間中に、特設リンクで開催された試合に出場して、KO勝ちを収める快挙も成し遂げた。それは彼にとって「奪われた時間を取り戻すための闘い」だった。
















神様からのプレゼント
 いつしか「仕事が整っているから、遊びに使う時間とエネルギーも持てる」と平沼は考えるようになっていた。自分の軸は仕事。それは専務取締役になった平沼にとって揺るぎない思いであり、軸が定まったことで自分のできることが見えてきて、精神的にも楽になった。
 そして、かつて断食を終えたときと同様に、自分の目の前の現実を素直に受け容れて喜べるときが、再び平沼に訪れた。それは結婚して子どもを持とうと決めたときだった。
 待望の子どもは、何と平沼がリバイブの社長に就任した日に産まれた。
「社長の就任式で、数多くの方々を前にスピーチをしたのですが、自分の思った通りのスピーチができず、落ち込んでいたのです。ところがその日に子どもが産まれて、心からの笑顔でスタートを
切ることができました」
 子どもは、光梨(ひかり)ちゃんという女の子だ。夫婦で大切に育てていることがよくわかる、穏やかで機嫌の良い赤ちゃんである。光梨ちゃんを抱えながら、平沼は
「大きな流れに抗うことなく、そのときにできることを精一杯やりたいと思います」
と言った。数年前に「死ぬヤツが格好いい」と思っていた彼とは、全く別人のような素直な思いが伝わってくる。
 まだ笑ったり、泣いたり、声を出したりすることしかできない光梨ちゃんは、平沼に無条件で人を愛する喜びを教え、ただ存在することで彼のかけがえのない支えになっている。まるで神様からのプレゼントだ。そのポジティブな影響力の大きさは計り知れない。
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Revive People 01
代表取締役社長 平沼伸基
ひらぬま のぶき
1980年生まれ。 株式会社リバイブの創業家である平沼家次男として生まれ、葛藤の多い少年期を過ごす。現在は、自らの経験を内省して新たな展開を導く行動力と、合理的な思考を併せ持つ三代目社長として活躍。組織の力を最大限引き出すため、現場を主役にした会社運営を目指す。