建設工事現場へ廃棄物を引き取りに行き、それをリバイブの産廃処理場へ運ぶ。同社の「傭車」はそうした一案件を一本の仕事として受注し、月ごとに本数分の支払を受け取る請負制度である。つまり、傭車とは個人事業主としてダンプカーを保有し、運送役を担う職業であり、同社にとっては外注先ということになる。現在、課長を務める奥村がかつては傭車として働いていた事実は、同社の傭車へのまなざしの質や人材に対する考え方を象徴的に表している。つながりを大切にする温かさや、有能な人材と共に組織をつくっていこうとする姿勢が感じられる。
傭車時代を振り返って、奥村はその仕事について次のように語る。
「傭車は朝の始業が早いのですが、その日の仕事が終ればそれで終りなので、気楽な面もあります。また、より多く走れば収入も増えるわけですから、自然に一本でも多く走ろうという気になります。私にとって当社の仕事はやりやすかったので、ドライバーが足りないときには、私が知り合いのドライバーに声をかけて、傭車になるきっか
けをつくったことも何度かあります」
自らが傭車として働くだけでなく、傭車仲間を増やすことにも貢献してきたというのは、奥村の積極的な仕事ぶりを感じさせる。しかし、その積極性があったからこそ、奥村は傭車をやめる決意をした。
「仕事には波がありますから、建築業界の景気が悪くなり工事件数が減ったときには、仕事の本数も減り、自分が思うようにはノルマを達成できなくなりました。それはドライバーの頭数が多いために達成できなかったわけで、頭数が減れば各自がノルマを達成することも可能になります。そこで、私は自分が傭車をやめようと思ったのです」
何とも潔く、仲間思いの決断である。しかし、そんな奥村の決意を知って「待った」をかけたのは、リバイブの前社長だった。
「自分としては、別の仕事をしようと考えていたところでしたが、前社長が『ちょっと待て』と引き留め、『社員にならないか』と誘ってくださいました」
自分の働きが認められたと思うと、奥村はうれ
しかった。けれど反面、社員になることは傭車(=個人事業主)として毎日を営んできた奥村にとっては不安でもあった。
「社員になると、輸送の仕事が終っても帰れない。単純なことですが、それは自分にとってどうなのか。果たしてやっていけるのかという気持ちが、不安の根底にありましたね」
そのとき、既に奥村の妻だった敦子はその様子を見守っていた。
「この人が決めることですから、私は何も言いませんでした。どう決断しても、それを受け容れようと思っていました」
結局、奥村は社員になる道を選んだ。
「最終的には、自分の働きを認めて『社員にならないか』と声をかけてくださった前社長の期待に応えたい。そんな気持ちに尽きましたね」
確かに「傭車をやめたい」という申し出に対して、「社員にならないか」という誘いは奥村の決断を促すくらい異例であろう。そこが人に価値をおくリバイブの特長であり、強みでもある。