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課長としてドライバー部門をマネジメント

 2014年8月、奥村は課長になった。今はトラック業務を行いつつ、ドライバー会議やリーダー会議に出席して、ドライバー部門を最適な形で維持するために人員や物資の確認を行う等、全般的な管理に当たる。さらに、配車係と連携して配車の調整も行う。一人何役もこなす日常がそこにはある。
 そんな奥村の日常を支えるのは、かつては大型トラックのドライバーとして第一線で活躍し、今はパートタイムで仕事量を調整しながら業務に当たる妻、敦子である。敦子が入社した当時、傭車として働いていた奥村は上司からこんなふうに声をかけられたことを覚えている。
「あっちゃんとしゃべってみろ。面白いぞ」
それは何気ない言葉であった。しかし、奥村にとっては意外だった。敦子の外見から、近寄りがたい雰囲気を感じていたからである。
「怖い、って思ってたんでしょ?」
今でこそ、敦子は笑って奥村に問いかける。奥村は苦笑しながらうなずく。
上司の言葉を忘れることなく覚えていながらも、そんな苦手意識から長らく奥村が敦子に話しかけることはなかった。トラックドライバーは、責任を持って自分の仕事をこなしていれば、それほど他者とかかわることなく役割を果たしていける。そういう仕事だからこそ、かつては奥村も、敦子も全力で取り組むことができた。
「トラックが好きですから。約束通りに仕事をすることとトラックを大切に扱うことは、どんなときも貫いてきましたね」
 奥村のそんな言葉に敦子は大きくうなずく。すると、奥村は次のように言葉を続けた。
「私は傭車として自分の責任で働いてきた期間が長かったので、仕事は自主的に行うものだと思っています。しかし、会社勤めのドライバーの中には『やらされ感』を持ちながら働いている人もいて、そういう人には『トラックの悲鳴』が聞こえないんですよ」
 トラックの悲鳴? 言葉の意味がわからず、思わず問い返すと、それはトラックの異常を意図した言葉であることがわかった。
「自分が乗るトラックを与えられたら、キレイに乗りたいと思うのが当たり前。私たちはそう考えます。ところが、今は手入れさえ積極的にしない人もいます」
 敦子が静かにそう言った。その言葉を受けて、奥村は言葉を続けた。
「トラックをキレイにすれば、自分も気持ちよく乗れますし、何よりトラックをよく見るようになります。まずは自分が乗るトラックをよく見て、乗っているときは音を聞く。そうして常にトラックの状態を把握しようとすることが、ドライバーの基本ではないでしょうか。ドライバーはトラックで物を運びますから、トラックは仕事に欠かせないパートナーです」
 なるほど。言われてみれば、納得できることである。万が一、トラックにトラブルがあれば、仕事に支障をきたして顧客企業にも迷惑をかけることになるのは明白だ。自分が乗るトラックにどれだけ関心を持てるかは、きっと仕事への熱意と正比例していることであろう。
 そうした観点に立つ奥村にとって、ドライバー部門の課長として車両の管理を徹底することは必然だった。
「単純なことですが、朝と帰りに毎日、止まっている自分のトラックをよく見て車両点検表に該当箇所の状態を記録する。これはドライバー全員に義務づけています。簡単なことですが、これをやるかやらないかで車両のトラブルを未然に防ぐことができるし、結果的にコストも安くなります。動かないトラックを現場まで取りに行くより、事前にトラックを整備工場へ持ち込んだほうが当然、修理代は安いですよね」
 現場を、仕事を知り尽くした奥村のマネジメントは一事が万事、地に足がついている。
















リバイブで人生の負荷を低減

 奥村は若い頃、ペンキ職人や舗装工事等、様々な職人の仕事をやっていた。しかし、トラックに初めて乗ったときは、それまでの仕事とは全く違った感覚を味わい、ワクワクしたという。乗用車よりも高い位置で道路を見渡し、走っていく爽快感。その運転が仕事であれば、申し分はない。たちまちトラックが好きになり、トラックドライバーの仕事を愛するようになった。
 一方、敦子も奥村に負けず劣らずのトラック好きだが、何と彼女は学卒後の2年間は中学校の教員だったという。そんな彼女がトラックドライバーへの転職を決意したのは、家庭の事情で多く稼ぐ必要性に駆られたからだ。仕事の本数や走る距離に応じて報酬が増えるトラックドライバー。そういう実力本位の仕事に就いて「稼ぐしかない」。そんな切羽詰まった思いから、何と当初は大型トラックの長距離ドライバーになったのである。
「女だからといって男性ドライバーには負けない、という対抗心が強かったです。性別に関係なく稼げる仕事だと思って選んだわけですから」
 どちらかといえば華奢な体型の敦子は、きっと若い頃、可憐な印象だったことであろう。そんな女性が、学校から運送業界へ飛び出し、昼夜逆転で高速道路を走り続けたのだから、自尊心を強く持つことが不可欠だったに違いない。
 けれど、そんな敦子もリバイブに入社して、生活が一変した。
「産廃の輸送と聞いて大変に思う人もいたかもしれませんが、私にとっては好きな大型トラックに引き続き乗ることができて、仕事は朝6時から夕方5時までときっちり限定されて、申し分のない転職でした。久しぶりに人間的な暮らしができるようになりましたね」
その言葉通り、昼間働いて夜は寝る当たり前のライフスタイルが敦子にとっては新鮮だったし、
奥村に上司が「あっちゃんとしゃべってみろ」と声をかけたように、次第に社内には気を許せる人間関係もできていった。
 そして、奥村と敦子は話してみると、やはり上司が勧めた通り意気投合した。クルマが好きなこと、自ら考えて行動することが2人の共通点だった。そんな2人が結婚を決めて会社に申し出たとき、「式だけは挙げろ」と言ったのは前社長だった。さらに、退職を申し出た敦子に「待った」をかけ、週3日のパート勤務で大型トラックに乗る待遇まで整備してくれたのである。年齢を重ねてからの結婚だったこともあり、正直、2人には入籍するだけで充分という気持ちもあった。しかし結局のところ、前社長の仲人のもと、挙式も行った。
 そんな経緯を語りながら、敦子はしみじみと言った。
「本当にリバイブに入って、人生が変わりました。仕事だけでなく、自分の暮らしも大切にできるようになって、家庭まで持つことができて、……家も建てて」
 敦子の言葉に、奥村も笑顔になった。そして、
「思い切って、な。名古屋に根を下ろす覚悟で建てました」
と奥村が言うと、敦子も笑顔になって、どちらからともなく2人は
「人生の負荷低減」
と言い出した。地球環境の負荷低減を目指すリバイブは、その事業を通じて、2人の人生の負荷も低減したというのである。
 そんな名言を社員が口にしてくれる会社は、なかなかない。しかも、じっくり考えたわけではなく、思いつきで2人は口にしたのである。そのキャッチーな言葉は、きっと社員にとっての同社を端的に表しているに違いない。



















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Revive People 03
産廃事業部 Sドライバー課長 奥村幸規
おくむら ゆきのり
 2000年11月より(株)リバイブの傭車(業務委託ドライバー)となり、傭車のコアメンバーとして活躍。2011年8月に社員となり、同年11月に同僚ドライバーの敦子と結婚。2014年8月課長に昇進し、今後が期待されている。

産廃事業部 大型車両パートタイムドライバー 奥村敦子
おくむら あつこ
 2006年入社。当初から大型トラックドライバーとして活躍。身だしなみを整えるようにトラックも常にキレイに乗りこなす。結婚後は週3日、パートとしてドライバー業務を行っている。

 クルマ好きの2人は、オフタイムもクルマいじりに励んだり、アートトラックのイベントへ出かけたりして、生活を楽しんでいる。東日本大震災のチャリティとして行われたアートトラックのイベントには、全国から見応えのあるアートトラックが数多く集まり、盛り上がったそう。奥村はトラックと聞くと連想されがちな荒っぽいイメージを、清潔なトラックを安全に運行するリバイブのドライバーの仕事ぶりによって変えていきたいと考えている。