WE TRY !
革新が求められる今、可能性は広がっている
株式会社リバイブ 統括事業本部長 久田佳典
多くの業界が成熟期を迎えつつある今の日本において、
廃棄物処理業界はリサイクルや廃棄物を利用したエネルギー発電ができる
資源循環型社会の要となる業界として、今まさに脚光を浴びている。
旧業態からの革新を期待されるなかで、
先陣を切って進んできたリバイブの統括事業本部長、久田は、
会社とともに成長してきた自分を振り返り、これからの可能性を語る。


「リバイブの久田に聞けばわかる」

 新卒での入社以来15年。久田は数少ないリバイブの生え抜き社員として、同社の成長を支えてきた。自由な社風のなかで、今だからこそ「やりたいことをやらせてもらってきた」と自らの歩みを振り返る。その道のりは決して順風でもなければ、平坦でもなかった。むしろ、そのときには険しく、出口の見えない迷宮に踏み入ってしまったと感じたときもあったという。
 ところが、自分でいろいろなことができるようになってくると、仕事に面白さを感じるようになり、お客様からも頼りにされるようになってきた。
「産業廃棄物の業界はニッチな世界で、速いスピードで移り変わっていく法律を、お客様も実はよく知らない現実があります。そのために困っている担当者に『リバイブの久田に聞けばわかる』
と耳打ちしてくださる現場の方がいて、実際に今は私のもとへ問い合わせが入ってきたりします。そういうときは素直にうれしいですね」。
 社内だけでなく、外部のお客様からも頼りにされることは、やりがいにつながる。若い頃から第一線で働いてきた久田の現場に即した知識やノウハウは、今やリバイブの財産といえよう。
 そんな久田は2014年の年末に統括事業本部長になった。それによって経理部門も彼の管轄下に入り、会社や仕事の実質的な収支状況が見えるようになった。
「数字とにらめっこしていると、『これなら大丈夫』と思えるものばかりではなく、なかには『これは危ない』と思うようなものもあって、マネジメントの重要性を実感します。人間ですから二重
三重に確認し、決裁を得て行く仕組みがなければ判断の精度を上げていくことはできません。私自身も間違いのない判断ができるように努めています」。
 慣れないとはいえ、統括事業本部長として事業全体を見ていく際には、経理・財務を把握することが欠かせない。その上で、新規事業の計画や既存事業の見直しも進めていける。久田が昇進前から業務課長として長年携わってきた人材教育や行政機関との交渉についても、やはり経営状況を踏まえて進めることが必要である。そういう意味で、今の久田は会社の姿を正しく認識し、実際に動かすための働きかけが可能なポジションに就いている。


環境への関心と責任感

 学生時代、就職活動のために訪れた企業展で、久田は平沼建設工業(リバイブの前身)のブースを訪れた。そこには同じ大学の先輩がいて、会社説明会へ誘われた。正直なところ、業容もよくわからなかったが、会社説明会へ出かけてみると50名くらいの学生が集まっており、そのうち半数は女性で「結構有名な企業なのかもしれない」と思ったという。その後、会社訪問に出かけて処分場のゴミの山を目の当たりにし、環境問題を考えるきっかけになった。
 久田の卒論テーマは「環境経営」。環境への事業適応がこれからの経営を左右すると考え、トヨタ自動車のゼロ・エ・ミッションの本を読んだりもした。経済学部経営学科の学生だった当時の久田にとって、資源循環の必要性を語る同社社長(現・会長)の話は刺激的だった。
 そして、4年生の早い時期に久田は同社から内定を得た。公務員の父親からは、公務員になることを勧められたが、市役所の採用がなかったこともあり、気持ちは決まっていた。当時は環境への注目度が社会的に高まり、産業廃棄物の処理業界には追い風が吹いていた。
 ところが、同社へ入社してみると教育体制が整備されておらず、人材育成はひたすらOJTあるのみ。先輩について学ぶしかない状況だった。そうなると、どの先輩につくかによって新入社員の状況は大きく異なる。さらに同期入社7名の中には講義ではなく「経験から学ぶ」ことが苦手な者もいた。このとき、久田が幸運だったのは、入社前からお世話になっていた先輩につくことができた点である。
「とはいえ、せっかく入社したのに1人減り、2人減りと同期が辞めていきました。当時の本社勤務だった私は、半年後に処分場勤務となり、処分
場の事務所は最低限の人数で運営しなければいけなかったので、先輩のもとで必死に頑張りましたね」。
 ゴミは無料で廃棄するのが当たり前で、処理にコストをかけることが考えられなかった時代から、環境への視点が芽生え、資源循環の実践へと向かい始める大きな変化が起きていた頃のことである。そうした社会情勢と人材が定着しない同社の状況との間には、大きなギャップがあった。
 入社2年目を迎えた翌年、久田の部署にも新入社員が入ってきた。人員数が増えたことに安堵感を覚えたが、何と8月にはお世話になっていた先輩が退職することになった。それによって必然的に久田は入社から1年半でリーダーになり、自分で考えて仕事をする立場になったのだった。
 そうした状況の変化により、お客様には頼りにされ、採用活動の担当になり、時には社長の代わりに中小企業同友会に参加することもあるほど、実力以上の役割を担うようになった。それは刺激的な日常であり、やりがいを感じることも当然あった。
「けれど所詮は入社1年半の駆け出しですから、本来は日常業務だけで必死です。そのために行き届かない点があると、各方面から即座にお叱りを受けることになり、正直に言えば厳しかったですね。当時はジンマシン、胃痛、円形脱毛症等、ストレス絡みの症状がよく身体に現れましたよ」
 久田は軽くそう言い放って笑う。今だからこそ、笑い飛ばせることなのだろう。そんな久田を同社に踏みとどまらせたのは、「新入社員を残して自分が辞めることはできない。自分が辞めてもこの部署がまわるようにしなければ辞められない」という責任感だった。


1
2
3
Revive People 04
統括事業本部長 久田佳典
ひさだ よしのり
2000年入社 四日市大学経営学部経済学科卒業 愛知県出身。
 1977年生まれ。小学生時代から野球を始め、高校時代に腰・肩・ひじを傷めて一旦遠ざかるも、大学では軟式野球部を立ち上げて復活。それが現在は草野球チームになり、岐阜県羽島市のリーグに所属。久田のポジションはセンター。仕事だけでなく、野球との縁も長い。
 年1回は子どもと雪山へ出かけてゲレンデでそりを楽しむ父親でもある。4月から小学校1年生になる子どもは「スキーをやりたい」と言っているそう。職場結婚からはじまった久田の家庭は温かく育まれている。