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一筋の光が見えてきたとき

 当時の久田は積極的に自分をアピールすることが苦手だったので、とにかく誰に対しても誠実に接することを心がけていた。とはいえ、自分の若さや知識のなさには嫌悪感があり、懇意にしている人には自分がどんなふうに見えるかを尋ねたり、お客様には常識的なことから専門的なことまでさまざまなことを教わったりもした。
「当時は、右も左もわからない若造でした。それなのに、会社ではリーダーシップをとらなければならないポジションにいて、相手にする方は年上の方ばかりでしたから、状況にねじれがありました。『自分は背伸びしないとやっていけない』と思い込み、できる限り取り繕いながら、ギリギリのところで何とか毎日を送っていたという感じです。お客様はそんな自分を見透かしてか、いろんなことを教えてくださいました。ありがたいことです。今でも心から感謝していますね」。
 リーダーになるべくしてなったのではなく、やむを得ず、リーダー的な立場にいるだけだという思いの中で、当時の久田はありのままの自分を肯定できなかったのかもしれない。そうだとすれば、その心情的なつらさは相当だったことだろう。
「知ったかぶりをしたことも数多くありましたよ。それで慌てて調べて何とか辻褄を合わせるということが頻繁にありました。自分の無知を認めるのは勇気がいることなので、仕事はこんなふうに覚えていくものだと自分を正当化する思いも同時にありました」
 状況だけでなく、自分の中にも久田はジレンマを抱えていたのである。
 懸命に仕事と格闘を続け、入社3年目を迎えた頃、経営コンサルタントが社内に入ってきた。そのコンサルタントに話を聞いてもらううちに、必要のない仕事や好ましくない仕事の習慣を洗い出すことになり、それを実際に行うことで、最終的には不要な仕事を削減することができた。それは久田にとって想像もしない展開だった。仕事について語り合える同僚がいないまま、日々の仕事と格闘し、飽和状態になっていたところで、初めて自らの仕事について口を開き、洗いざらい話すことができた機会だったからである。話すことで、久田自身が仕事そのものを客観的に見ることができた。その結果、仕事に優先順位をつけることができたのである。それは久田にとって大きな転換点だった。
「それまでは仕事の出口が見えなくて毎日が不安でした。なので、やるべき仕事に優先順位をつけられたときは、初めて出口が見えたような気がしたのです。これなら何とかなると思いましたね」
 仕事に一筋の光が見えてきた瞬間だったのである。


















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人が動く。知識が動く。仕事が動く

 入社5〜6年目の頃、久田はさまざまな人から1日中、質問や確認の問合せを受けていて、常時「はい、進めてください」、「この点に問題があるので、再考してください」、あるいは「それは必要だから買ってください」等と、大きいことから小さいことまで、実に数多くのことを自分で決めていることに気づいた。
「当時は何でも『決めること』が自分の仕事だと思っていました。でも、あるとき、自分が答えるべきでない、あるいは答える必要がないと思ったことには『自分で考えてください』と言うことにしてみたのです。実際にそう言ってみたところ、何も問題が起こることはなく、現場は現場で考えるようになりました。驚きましたね。部署ごとの役割分担が明確になっていき、『任せる』ってこういうことかと思いました。仕事が円滑に進むサイクルがまわり始めたのは、あのときからです」。
 大きな発見だった。一人前になる前からリーダー的な立場になった久田にとって、自分から『わからない』と発言することはタブーであり、聞かれたことに誠実に答える姿勢こそ、最善を尽くす証だったのである。ところが、すべてのことを久田が決めていたら、社員各自の『自分で考える力』は育たず、誰もが受け身になって指示を待つようになってしまう。そうなると仕事ではなく、作業の分担しか成り立たなくなる。そういう意味で、久田が思い切って「自分で考えてください」と言った行動は、職場の状況を打破して社員各自の主体性を育てる第一歩になった。
「やらせてみればやってくれるし、部下は育っていく。気持ちがラクになりました」
 仕事と向き合い、つらい時期を乗り越えた瞬間だった。
 業務課長に昇進した30歳の頃、肺に穴が開く気胸という病気になった。両方の胸に穴が開いて息苦しく、一時はドクターから親に「もう危ないです」とまで言われた。しかし、穴が大きくなかったため、何とか助かることができた。この経験を機に久田は、人間にとって死は身近にあるも
のだと思うようになり、プライベートでもダラダラと時間を過ごすのはもったいないと感じるようになった。そして、仕事面でも、身体面でもピンチを乗り越えて精神的な強さを身につけた久田は、この年に結婚した。相手は同じ職場の事務職の女性だった。自分の仕事を知る人と生活の基盤となる家庭を築いたわけだ。
 当時、採用面では大手就職情報企業がコンサルに入り、WEB上の有名な集合媒体を使った広報を展開した。それによって名古屋駅前のホテルで開催した会社説明会には100名以上の学生が集まった。久田自身の就活時の2倍に上る動員数である。多くの学生を前に感慨深い思いを味わいながら、久田は自分の歩みと同様に会社もまた新たな局面に突入していることを実感した。
 そして、それまでは形のなかった新入社員教育プログラムの作成に着手した。いくら採用にコストをかけても、人を育てる仕組みがなければ企業は強くならない。社内では各部門で研修の目的やゴールを定め、半年間をかけて新入社員が各部門で業務を経験し、基礎知識を蓄える現場体験型の研修プログラムをつくった。
「最終的にその年は大卒学生3名と、当社には農園もありますので農業科の高校生1名を採用しました。4月に彼らを迎え、その新入社員教育プログラムを実施してみたのです。そしてわかったのは、新入社員に役立つ以上に従来からの社員の教育に役立つこと。何も知らない新入社員にどう教えるかを先輩社員が考えて指導に当たることで、先輩社員の知識・スキルが整理されて明確になります。また、新入社員からの思いがけない質問の数々が、先輩社員にとっては一つひとつの仕事の意味を考えるきっかけになりました」。
 仕事内容だけでなく、人材や個々人の知識・スキルにも動きがあってこそ、事業・組織は活性化する。採用・新入社員教育への注力は、同社の組織としてのあり方を変えていく起点になったのである。








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Revive People 04
統括事業本部長 久田佳典
ひさだ よしのり
2000年入社 四日市大学経営学部経済学科卒業 愛知県出身。
 1977年生まれ。小学生時代から野球を始め、高校時代に腰・肩・ひじを傷めて一旦遠ざかるも、大学では軟式野球部を立ち上げて復活。それが現在は草野球チームになり、岐阜県羽島市のリーグに所属。久田のポジションはセンター。仕事だけでなく、野球との縁も長い。
 年1回は子どもと雪山へ出かけてゲレンデでそりを楽しむ父親でもある。4月から小学校1年生になる子どもは「スキーをやりたい」と言っているそう。職場結婚からはじまった久田の家庭は温かく育まれている。