入社5〜6年目の頃、久田はさまざまな人から1日中、質問や確認の問合せを受けていて、常時「はい、進めてください」、「この点に問題があるので、再考してください」、あるいは「それは必要だから買ってください」等と、大きいことから小さいことまで、実に数多くのことを自分で決めていることに気づいた。
「当時は何でも『決めること』が自分の仕事だと思っていました。でも、あるとき、自分が答えるべきでない、あるいは答える必要がないと思ったことには『自分で考えてください』と言うことにしてみたのです。実際にそう言ってみたところ、何も問題が起こることはなく、現場は現場で考えるようになりました。驚きましたね。部署ごとの役割分担が明確になっていき、『任せる』ってこういうことかと思いました。仕事が円滑に進むサイクルがまわり始めたのは、あのときからです」。
大きな発見だった。一人前になる前からリーダー的な立場になった久田にとって、自分から『わからない』と発言することはタブーであり、聞かれたことに誠実に答える姿勢こそ、最善を尽くす証だったのである。ところが、すべてのことを久田が決めていたら、社員各自の『自分で考える力』は育たず、誰もが受け身になって指示を待つようになってしまう。そうなると仕事ではなく、作業の分担しか成り立たなくなる。そういう意味で、久田が思い切って「自分で考えてください」と言った行動は、職場の状況を打破して社員各自の主体性を育てる第一歩になった。
「やらせてみればやってくれるし、部下は育っていく。気持ちがラクになりました」
仕事と向き合い、つらい時期を乗り越えた瞬間だった。
業務課長に昇進した30歳の頃、肺に穴が開く気胸という病気になった。両方の胸に穴が開いて息苦しく、一時はドクターから親に「もう危ないです」とまで言われた。しかし、穴が大きくなかったため、何とか助かることができた。この経験を機に久田は、人間にとって死は身近にあるも
のだと思うようになり、プライベートでもダラダラと時間を過ごすのはもったいないと感じるようになった。そして、仕事面でも、身体面でもピンチを乗り越えて精神的な強さを身につけた久田は、この年に結婚した。相手は同じ職場の事務職の女性だった。自分の仕事を知る人と生活の基盤となる家庭を築いたわけだ。
当時、採用面では大手就職情報企業がコンサルに入り、WEB上の有名な集合媒体を使った広報を展開した。それによって名古屋駅前のホテルで開催した会社説明会には100名以上の学生が集まった。久田自身の就活時の2倍に上る動員数である。多くの学生を前に感慨深い思いを味わいながら、久田は自分の歩みと同様に会社もまた新たな局面に突入していることを実感した。
そして、それまでは形のなかった新入社員教育プログラムの作成に着手した。いくら採用にコストをかけても、人を育てる仕組みがなければ企業は強くならない。社内では各部門で研修の目的やゴールを定め、半年間をかけて新入社員が各部門で業務を経験し、基礎知識を蓄える現場体験型の研修プログラムをつくった。
「最終的にその年は大卒学生3名と、当社には農園もありますので農業科の高校生1名を採用しました。4月に彼らを迎え、その新入社員教育プログラムを実施してみたのです。そしてわかったのは、新入社員に役立つ以上に従来からの社員の教育に役立つこと。何も知らない新入社員にどう教えるかを先輩社員が考えて指導に当たることで、先輩社員の知識・スキルが整理されて明確になります。また、新入社員からの思いがけない質問の数々が、先輩社員にとっては一つひとつの仕事の意味を考えるきっかけになりました」。
仕事内容だけでなく、人材や個々人の知識・スキルにも動きがあってこそ、事業・組織は活性化する。採用・新入社員教育への注力は、同社の組織としてのあり方を変えていく起点になったのである。