リバイブの想い

日本はかつて環境先進国であった
かつて江戸では、近世最大の人口を抱える都市であったにも関わらず、資源を循環させ、廃棄物をほとんど出さない理想的な循環型社会が形成されていました。庶民のゴミに対する意識とその循環システムはまさに環境先進国と呼ぶにふさわしいものです。鎖国という閉鎖された国土の中、彼らは限られた資源を、いかに無駄なく再利用するかに知恵を絞っていたのです。
今なら捨てるしかない物を修理する専門職人。壊れてしまったものを使えるようにする修理・再生専門業者。不用品を買い集める回収専門業者など。こういった業者が産業回路の一部として機能し、大都市江戸の廃棄物を極端に減らしていたのです。
庶民は、リサイクルは特別なことではなく、捨てるという行為は、素材を使い尽くした最後の手段であると考えていました。
例えば米の副産物である藁(わら)。江戸時代の人々は収穫された藁の半分をたい肥や厩肥などに使い、残りの2割は日用品に、そして残りの3割は燃料用にと、衣食住にわたり無駄なく再利用していました。
灰も、酒造の種麹作りに木灰を使ったり、製紙の際、純粋な繊維を取り出すため灰汁(あく)を加えて煮沸したり、また染色や食器洗いにも使ったりと、実に無駄なく再利用していたのです。
皮肉な文明の交差
幕末に江戸を訪れたヨーロッパ人は、その景観を世界一美しい園と形容し絶賛したと言います。一方、日本では明治4年、岩倉具視を正使とした総勢107名の大使節団を欧米に派遣し、すでに産業革命によって目覚しい工業発展を遂げた欧米の政治・経済・教育・文化に大きな影響を受け、文明開化を目指しました。
一方は、自然環境と共生する生き方に憧れその文化を真似、一方は、最新の工業技術に憧れそれを真似ることで富国のための経済発展を望む。この幕末から明治期にかけての文明の交差が、その後の両者の「環境意識」の差を生み出す決定的な分岐点になったのです。
「現在の」環境先進国事情
1994年、ドイツで「循環経済法」という法律が制定されました。この法律は、製品を製造、加工、処理する者が製造物責任を負うと定めたもので、廃棄物、再生産に関する企業の責任を義務づける厳しい内容のものでした。制定にあたり、専門家や産業界を巻き込む大論争が起きましたが、その後スウェーデン、ノルウェーが法律を制定し、欧州全体がこの方向に進んでいます。このような国や地域を挙げての環境意識改革は消費行動に現れ、ヨーロッパ各地では優先的に環境負荷の少ない商品を購入しようとするグリーンコンシューマーが台頭するようになりまし。1988年にイギリスで発行された「ザ・グリーンコンシューマー・ガイド」(ジョン・エルキントン、ジュリア・ヘイルズ共著)が、この運動を世界的に広げるきっかけとなり、ドイツでのグリーンコンシューマーに至っては実に人口の60%を超したと言われています。(ちなみにわが国では2〜3%程度ではないかとされています)。
国民性が招く廃棄物問題
環境意識の差を考えさせられるこんなエピソードがあります。
アルピニストの野口健さんは、1997年に初めてエベレスト登頂に挑戦しました。そのとき彼は、「ベースキャンプの至るところにゴミが散乱しており、白銀の厳しい世界とばかり思っていた私は正直、面食らった」と感想を語っています。そして野口さんはこの登頂の際、ヨーロッパの登山家に言われた言葉が今も忘れられないと言っています。
―お前ら日本人はヒマラヤをマウントフジにするつもりか―
ヒマラヤに残されたゴミを見ると環境教育が進んでいる国とそうでない国がはっきり判るそうです。ゴミを持ち帰るのは、ドイツ、デンマーク、ノルウェーなど、持ち帰らないのは日本、中国、ロシアなど。環境教育の進んでいる国は景観自体もきれいでゴミ問題にもしっかり取り組んでいる。前述のヨーロッパの登山家はヒマラヤに大量に残されたメイド・イン・ジャパンのゴミを見て日本の「国民性」を非難したのです。
野口さんは、その後のエベレストでの清掃活動を通じて、ゴミの問題は登山家のマナーというちっぽけな問題ではなく、国民性の問題であり、その国の教育が問われていることに気付いたと語っています。
日本は戦後類を見ない経済発展を遂げ、多くの国民が経済的に豊かな生活を享受できました。しかし一方で幕末以降の環境教育の差そしてそれによる国民の意識の差によって、日本は環境後進国になり、それが現在の深刻な廃棄物問題を招いているのです。