リバイブの想い

『ガラスの地球を救え―21世紀の君たちへ』。著者「手塚治虫」。
彼はエッセイの中で、「鉄腕アトム」は、自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくかを描いたつもりだと語っています。
アトムは人間らしくなりたいと学校に通いますが、計算問題は瞬時に出来てしまうし、運動能力も人間とは比べ物にならない、そんな中で、アトムは非常な疎外感を味わう…。
手塚氏は、約50年も前に鉄腕アトムで描いたこの『科学と人間のディスコミュニケーション』による悲劇が、地球と人類との間にも起こっているのではないか、もっと地球の声に耳を傾けるべきではないか、と提言しています。
私たちは産業廃棄物処理を通じて、地球の悲鳴を身近に感じています。地球の声に耳を傾け、地域社会と共に考えて続けていくことが、地球と人類とのディスコミュニケーションの解消に繋がると信じています。
あと7年―日本がゴミであふれる
我々は「産業廃棄物の中間処理」という仕事に携わっています。
毎日運ばれてくる大量の産業廃棄物をできる限り人の手を使って分別しながら、それらを資源として分別し、社会に還元することが私たちの仕事です。
しかしながら年々増え続ける産業廃棄物を正確に分別するのはもはや限界に来ています。 日本の最終処分場で埋め立てることが出来る残余年数はあとわずか、この現実を知ってほしい。
毎日運ばれてくる大量の産業廃棄物をできる限り人の手を使って分別しながら、それらを資源として分別し、社会に還元することが私たちの仕事です。
しかしながら年々増え続ける産業廃棄物を正確に分別するのはもはや限界に来ています。 日本の最終処分場で埋め立てることが出来る残余年数はあとわずか、この現実を知ってほしい。
皮肉な文明の交差
江戸時代。そこには限りある資源を循環させ、廃棄物をほとんど出さない理想的な循環社会が形成されていました。
幕末に江戸を訪れたヨーロッパ人は、その循環型社会に憧れながら自国の環境意識を育てていきました。
しかし一方で、幕末以降の日本はヨーロッパの先進的な産業に憧れ、大量生産・大量消費の社会に変貌し、日本の環境意識は大幅に低下しました。 この「皮肉な文明の交差」が日本とヨーロッパの環境意識の差を生み、日本をあっという間に「ゴミ」大国にしてしまったのです。
しかし一方で、幕末以降の日本はヨーロッパの先進的な産業に憧れ、大量生産・大量消費の社会に変貌し、日本の環境意識は大幅に低下しました。 この「皮肉な文明の交差」が日本とヨーロッパの環境意識の差を生み、日本をあっという間に「ゴミ」大国にしてしまったのです。
復元そして回復へ
今できること、そしてこれからしなければならないことを明確にし、具体的な廃棄物問題解決へのアクションを起していくことが大切です。
まずは現実を知り関心を持つことから。
我々は廃棄物中間処理業者として、一番身近で廃棄物と接しているからこそ、言えること、伝えられる立場にあると考えます。
物申す社会の番人として、地域社会と一体となり、廃棄物問題に取り組んでいきます。